時計、金、プラチナ、ブランド雑貨の質預り買取なら高井田ICすぐ東大阪市の質・買取 タチバナ屋へ
10:00〜19:00(日・祝10:00〜18:00) 査定受付は営業終了20分前まで 毎週木曜定休
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査定受付は営業終了20分前まで 毎週木曜定休
私共タチバナ屋はここ東大阪市布施においてまもなく創業100年を迎えます。質屋という職業は鎌倉時代からあったと言われています。
弊社は私どもの祖父の代から営業をしており、太平洋戦争のころは店の一部を小学生として開放したり、またB-29の焼夷弾で蔵の一部が焼けたりしたそうです。
私が小学生だったころ(昭和40年代中旬)お客様に道で出会って「こんにちは」とあいさつをしたら「質屋の息子にあいさつされたくない」とか「おい質屋の倅よ。親父に利息を月末に持っていくから質流れにするなって言っておけ」などとよく言われたものです。
また大人になって長男が中学校に通うようになったら(平成15年頃)「橘さんのところって何の商売されているのですか?」と尋ねられ「質屋です」と答えると「質屋で食べていけるの?」なんて言われたものです。ようやく最近になって「質屋さんっていいですね。宝石とか時計とかブランド品とかきれいなもの 美しいもの 高価なものを取り扱えて」「質屋さんになりたい。お客さんの持ってこられるものを鑑定して査定してみたい。」と言われるようになりました。最近の若い人は質屋とリサイクルショップとの違いがわからない人も多くなりました。また時代が変わって高価なブランド品を身につけるより、自分のライフスタイルにあった相応のものを消費するようになりました。まさに今、質屋は時代の変化の波に飲み込まれようとしています。
そこで私たちは次のような方針で新しい時代の質屋を創造していこうと考えています。
昔ながらの暖簾のある古い店構え、そこにいる気難しそうな老眼を掛けている親父。
そういう暗いイメージではなく、一流の鑑定眼をもった若い従業員がお客様と接客する。お客様と一緒になって新しい質屋を作っていく。そういう質屋を目指します。
質屋はお客様の大切な商品をお預かりしてお金を融資するのが仕事です。これは昔も今もそして未来も変わりません。流行も時代も変わるのでしょうが、絶対に他に負けない鑑定眼を持って仕事にあたる。ここだけにはこだわっていきたいと考えています。
これだけちまたに「品物」が溢れている日本社会。いつのまにか品物を大切にしなくなりました。そこであなたにとって不要な品物かもしれないけど、まだまだそれを必要としている人がいる。それらを質預りしてお金をお貸しする。また、品物を買取る。そしてまた必要としている人にリサイクル・リユースしてもらう。その架け橋として私たちの会社はありたいと思っています。
つまり質預りであろうが買い取りであろうがお客様に品物を置いていってもらって商売がはじまる。
15戦全勝の横綱ではなく、永遠の大関(12勝3敗、11勝4敗、10勝5敗)を目指して仕事に取り組む。
お客様の家庭に眠っている宝石・時計・ブランド品・金、プラチナ・女性用中古衣料・中古子供服・化粧品、香水・着物、帯、毛皮等を質預かり、買い取ることにより中古資産を有効活用し、お客様の生活に潤いをもたらし、中古市場の活性化に役立つ会社を目指します。
お客様に満足していただける公正な査定お客様に納得していただける透明な取引をすることを誓います
たぐいまれなき知識量、他の追随を許さない情報量常に時代の変化を感じ取る感性を身に着ける努力を弛みなく続けます
株式会社タチバナ屋(質と買取)
1925年
2500万円
橘 弘嗣
〒577-0842 大阪府東大阪市足代南1丁目3番15号
大阪府公安委員会
第622221100014号
第622223707873号
10:00~19:00(日曜祝日10:00~18:00)
※持ち込みは閉店の20分前まで
小売店としての株式会社オランジュ
この多当紙は、警察より定められています、保管期限を過ぎた質物台帳の紙を、当時は紙がなかったので、着物を保管する多当紙を利用しています。
質物台帳は、お客様からお品物をお預かりした時、法律で定められた事項を記載する帳簿の事です。
当時は背広やワイシャツなど衣類が主な預かりのお品物でした。
質草の大半が衣類で、背広上/下、ジャケット、女袷羽織オーバーが7点、残り扇風機、カバン、傘、靴が1点ずつ、時計が4点。
金額も貮百円から貮千円まででした。 達筆すぎて読めないです。祖父の字でしょうか。
私がこの世に生をうけた日ですが、やはり質草15点中10点がズボン、スカート、背広上/下、女一重、大島あと読めません。
その他が、指輪、時計×2、なんとラジオがありました。
金額は200円から3200円でした。
なお、この年の12月31日まで営業していて、台帳の番号(つまり取引数)は4388件でした。
S35年は1月1日から営業していました。
私が10才の時です。日本が高度成長経済のときでした。
この頃の質草は時計が18取引のうち12取引もありました。
残りはラジオ、指輪、ネックレスが1件ずつで背広、ブレザー、シャツ等が3件でした。
12月31日最終取引番号は4447でした。時計で10,000円借りた方もおられました。
私が20才の時ですが、ちなみに東京で大学生していました。今は亡き両親が仕送りしてくれていたころです。まもなく「バブルへGO」に向かう頃でしょうか。
質草は時計が8、着物が7、指輪が4、他にまだ洋服が4ありました。
1,500,000円借りていた方もおられました。今の価値にしたら、いくらくらいなのでしょうか。でも、ほとんどの方が10,000円以下でした。
ちなみに、最後の台帳番号は12月31日1777でした。懐かしい方もおられました。今でも取引があります。S54年(1979年)7月24日でした。
私が30才の時です。この年がバブル経済最後の年です。下手な字は私の字です。
質草も貸付金額も大きく変わりました。時計や宝石が中心になりました。
1,000,000円以上のお客様もちらほら見られます。そういえば、10,000,000円くらいのお客様もおられました。
まさに大爆発寸前の日本でした。
私が40才のときです。ちなみに、この年の3月に母が亡くなりました。下手な字は私の字ではありません。
もう時計、宝石ばかりで、洋服、着物なんてありません。貸付金額は25,000円から1,000,000円で、その25,000円が唯一、シャネルのサイフと小銭入れでした。ブランドブームがはじまりました。
ちなみに、台帳番号は12月30日で1411でした。
私が50才のときです。2年前に父が亡くなりました。バブルがはじけて20年です。
質草は時計が7、宝石が6、ブランド品が4、ノートパソコンが1でした。時計は7点中6点がROLEXでした。
最終取引番号は697でした。